ブラック人生

〜虐待・養護施設・借金問題〜ありのままの26年記録

1,最初の家族

 

わたしは札幌のとある街で4人家族の末っ子として産まれました。

わたしたち家族4人は母親の実家で暮らしていたそうです。

両親が離婚した当時、わたしは3歳ぐらいだったので母親の記憶があまりないのですが、わたしはお母さんっ子で母親もわたしのことをすごく可愛がってくれていました。

 

父親と母親は高校を中退していて、父親がクラブのボーイ(当時はディスコという名前だったそう)のアルバイトをしている時に、お客さんとしてきていたキャバクラの女の子が母親でした。

そこからお付き合いを始めて半年後くらいにお姉ちゃんを授かり、その一年後にわたしが産まれたのです。

 

父方のおばあちゃんいわく、母親は大人しい性格だったそうですが弟を流産してから人がかわってしまったそうです。

実家にあったお姉ちゃんが通っていた保育園の先生と母親の連絡帳をみていると流産した事でひどく落ち込んでいました。

 

 

母親との別れ

小さい頃から全く泣かないわたしとは反対に、お姉ちゃんがよく泣く子だったので流産したことで気が滅入っていた母親は、わがままでよく泣くお姉ちゃんを鬱陶しく思い始め殴ったり蹴ったりを繰り返していきました。

その行動はどんどんエスカレートしていき、掃除機で殴ったり母親の実家で飼っていたペットのウサギのゲージに閉じ込めたりしていたそうです。

それをきっかけに離婚することになり、父親が男手ひとつで2人を引き取ってくれました。

 

母親との記憶がほとんどないわたしが唯一今でも覚えていることが母親が最後に話し合いをしに父親の実家にきた時のことです。

帰り際玄関までお見送りをした際、母親に「バイバイ」と言われ幼いながらに「きっとこれが母親と会う最後なんだ」とかんじ、行かないでと訴えかけたことがぼんやりとした記憶であります。

 

冒頭でも言ったように、わたしはお母さんっ子だったので両親が離婚するとなった時わたしは母親についていきたいと言ったそうですが、お姉ちゃんと離ればなれにしてはいけないという父親の考えで、わたし達2人は父親についていくことになりました。

今となってはその時の父親の行動に感謝してるくらいお姉ちゃんの存在に助かっています。

 

祖母との4人暮らし

離婚してからは父親の実家でおばあちゃんと4人で暮らし始めました。

父親の両親もわたしが産まれる前から離婚していたので、おばあちゃんが母親のかわりになって育ててくれたこともあり小さい頃はおばあちゃんのことを「お母さん」と呼んでいました。

おばあちゃんはスナックを経営しているママで、夕方の18時くらいから夜中の4時近くまで仕事をしていたので、トラックの運転手だった父親が出張の時はわたしとお姉ちゃんも出張について行けたので父親の出張が毎回楽しみでした。

 

実家が二階建てということもあり、二階は父親の部屋でおばあちゃんの部屋は一階だったのですが「暗くて広い部屋に1人で寝るなんておばあちゃんが可哀想」という謎の幼児理論でオバケが苦手なわたしは車のおもちゃを抱きながらおばあちゃんの布団で毎日1人で寝ていたことは鮮明に覚えてます(笑)

 

おばあちゃんと4人で暮らしていた時は本当に毎日が楽しくて仕方がありませんでした。

わたしが公園のコンクリートで転んで怪我した時家で育てていたアロエを毎日丁寧に塗ってくれたり、土日は一緒にお買い物に連れて行ってくれたり、4人でキャンプをしに行ったりとても幸せな日々を過ごしていました。

 

その2年後に悪魔のような人と出会うなんて想像すらできないほどに。