わたしたち家族6人は実家の隣町にある新築二階建ての一軒家に引っ越しました。
1階は居間にお風呂と洗面所、キッチンと弟の遊び部屋があり2階には両親の部屋とお姉ちゃん、わたし、義妹の部屋が各1つずつ与えられました。
弟が保育園に通える歳になってからは義母も働きに出るようになり、家事を子供たちで分担してやることになりました。
お姉ちゃんは毎朝クイックルワイパーで全室の床掃除をし、晩ご飯の後には食器類の片付けを担当していて、義妹は夕ご飯の米とぎを担当し、わたしは学校から帰って来てから家族全員の洗濯物と毎朝の玄関掃除(冬は除雪も担当)日曜日の夕方は家の周りの草むしりをし木曜日は床の雑巾掛けを担当していました。
今思い返せばこの分担わけの量で義母がわたしのことを奴隷のように扱っていたことに気づきますが、当時小学3年生だったわたしはなんの疑問も持たずに毎日せっせか家の分担をこなしていたのです。
そしてこの新居生活が始まってすぐに義母の態度が急変していくのです。
義母からの暴力
仕事終わりに弟を保育園まで迎えにいった義母が17時半頃に帰宅するので、それまでに家事を終わらせないとひどく怒られていました。
なのでわたしは学校が終わってからすぐ家に帰り分担をこなしていたのですが、やっぱり小学生ですからどうしても帰りに友達と公園で遊びたかったり友達の家に寄っておもちゃで一緒に遊んだりしたいわけです。
そうして帰りが遅くなり義母の帰宅までに家事が終わっていないことに義母が腹をたて、口で怒るだけじゃ物足りずお腹を殴ったり顔を足で踏んだりと行動がどんどんエスカレートして行きました。
それは分担だけにおさまらず「お前は酉年で鳥頭だから勉強をしろ」と毎日晩御飯を食べ終わった後父親が仕事から帰ってくるまで4時間程居間で勉強させられ、父親が帰ってくる直前に部屋にもどって就寝するよう指示されていました。
恐らく義母は虐待している自覚はあったので、絶対に父親とわたしを会わせないよう朝は父親が起きてくる前に学校へいくように言われていました。
朝ご飯は基本的に食べさせてもらえなかったのですが、賞味期限が切れてカビが生え始めた食パンがある時だけは「捨てるのはもったいないから」と言う理由で食べるよう強要されていました。
カビが侵攻しているパンって本当に不味くて飲み込むことすらできないのですが、食べ切らないとまた怒られるので必死に水で流し込んでいた記憶があります。
土日は父親が休みの為、わたしとお姉ちゃんはおばあちゃんの家かお姉ちゃんの友達の家に泊まりに行くよう義母から指示されていたのですが、わたしにとっては義母から離れられる唯一の機会だったので「平日さえ乗り切れば大丈夫」といった気持ちで毎日必死に我慢していました。
ですがやはりエスカレートして行く義母の暴力に耐えれずおばあちゃんに今までの義母の行動を全て話し、小学校3年生の夏休みに児童相談所に一時保護されたのです。
虐待していることを父親に隠していた義母はここで全てバレたわけですから、たまったもんじゃないですよね。
夏休みが終わりかけの頃、義母が女優さながらの泣き真似演技をしながら父親と児童相談所に迎えに来たことを今でも覚えてます。
バカだったわたしはここで「きっともうこれからは殴られたりはしないんだ」と思っていました
児童相談所での生活
そんなこんなで念願だった義母から逃れられ、児童相談所で夏休みを過ごしていたわたしはここで様々な経験をしました。
児童相談所には5歳〜高校3年生まで幅広い年代の男女10人が共同スペースで生活していて、荷物は男女別で12畳ほどの部屋に衣類や生活用品など必要最低限のものを置いていました。
寝る時以外は共同スペースにいなければいけない決まりだったので、1人の時間というものがありませんでした。
朝は6時に起床し、歯磨きと洗顔をすませたら共同スペースに集まって全員でラジオ体操をすることから1日がスタートします。
7時半くらいに食堂が開くので全員で朝食を済ませた後、お昼ご飯までの時間は勉強をしていました。
わたしは夏休みだけの入所でしたが夏休みが終わっても退所できない子もいたり、養護施設の空きまちで1年間くらい入所している子もいたので学校の勉強に遅れないように先生たちがつきっきりで勉強を教えてくれました。
お昼ご飯を食べ終わったら、夜ご飯までは自由時間になります。
外出はもちろんできない為、気休めの運動で卓球をしたり漫画を読んだり職員室で先生方と喋ったり各々が好きに過ごせる時間でした。
お風呂や洗濯は日中に済ませなければいけないので自由時間でも退屈になったりすることはありませんでした。
17時半に夜ご飯を食べたら、19時におやつ時間があるのでそれが1日の中で最も楽しみにしていた時間です。
18時になると日勤の先生と夜間の先生が交代するのですが、夜間の先生で現役男子大学生の方が何人かいたので年も近いことからみんなお兄ちゃんのように慕っていました。
消灯の時間が21時なので、その前に歯磨きと布団の用意をしておきます。
男子部屋と職員室は共同スペースと繋がっていて、女子部屋は共同スペースから脱衣所に向かう通路の方にあったので、消灯の時間になると通路のドアが閉まる為女子部屋は隔離されていました。
今思えばこれが後々の悲劇に繋がるなんて誰が予想できたのでしょうか