ブラック人生

〜虐待・養護施設・借金問題〜ありのままの26年記録

5,児童相談所でのいじめ

 

女子部屋は12畳ほどの広さで、窓付きのドアが2つ並んでいて片方の壁には戸が外された押し入れが一面にあるだけの殺風景な部屋でした。

ドアの反対側には窓が2つあってその向こうにはバルコニーがあるのですが、もちろん脱走できないように柵で固められています。部屋の作り的に2つの部屋を繋げたような感じです。

その時入所していた女子はギャルの高校生2人と物静かで喋らない暗めの中学生1人と5歳の女の子1人とわたしの計5人でした。

寝る時は枕部分を合わせるようなかたちで布団をひき、部屋の真ん中で固まって寝ていました。

 

消灯の時間がすぎると何時間かおきに先生方が見回りにやってくるのですが、前にもいったように女子部屋は職員室のある共同スペースからはドア1枚で隔離されているので、女子部屋の声や音は漏れづらく先生が見回りにくる時もドアの音でわかりやすかったりするのです。

 

わたしと5歳の女の子は高校生のギャルたちにとても可愛がってもらっていて、私たちもよく面倒を見てくれる年の離れたお姉ちゃんのように慕っていました。

かたや中学生の女の子は全く喋らず、自由時間も何をすることなく端っこでずっと下を向いて座っているような子で、話しかけてもボソボソっとした声で少し反応するくらいもの静かな子でした。

顔を隠すかのような長い前髪と大きな眼鏡が印象的で、ハッキリと顔をみたことはありませんが左頬は赤くかぶれていてアトピーというより火傷したような跡がありました。

 

夏休みも終盤になり、わたしの退所日があと何日か後に迫ったある夜のことです。わたしはふと夜中に目が覚めました。部屋に時計がない為何時くらいの出来事だったかは定かではありません。

隣には5歳の女の子がいつも通りスヤスヤ寝ていて、ドアの小窓から漏れる非常口の薄暗い明かりが相も変わらず不気味でわたしはもう一度眠りにつこうと思いました。

そうすると頭上の方で話し声が聞こえたのです。

会話までは鮮明ではありませんが、何やら高校生のギャル2人組が中学生の女の子に話しかけていたようでした。

普段高校生の2人が中学生の子に話しかけているところを見たことがなかったので、わたしは少し不思議に思いました。

起き上がって会話に混ざるのも野暮なので気にせずそのまま目を閉じようとしたその途端、女子高生の1人がきつめの口調で怒り始め、どこからか入手したライターの火を中学生の子の顔に近づけたのです。

 

わたしは体験したことのない恐怖でいっぱいでした。

隣で寝ていた女の子を起こそうと考えましたが「今動いたら起きてることがバレる」「次は自分があの子みたいな目にあうかもしれない」という恐怖で何もできずただひたすら早く終わることを祈っていました。

 

中学生の女の子が小さく抵抗するともう1人の高校生が顔を殴り始めました。

鼻から血を出した中学生の子を見た2人は「汚い」「死ね」など次々罵り、その姿をみて笑っているようでした。ですが、おそらく尋常ではない量の血が出たので中学生の子は部屋を勢いよく飛び出しトイレに逃げ込みました。

その音で先生方も気づき、すぐさま部屋に駆けつけに来たので高校生の2人は慌ててバルコニーに逃げ込みました。

ですが、先程も言った通りバルコニーには柵が付いていますので、いくら2階とはいえ外に飛び降りることはできません。

2人はすぐ先生方に捕まり職員室に連行されました。

その後高校生と中学生がどうなったのかは記憶がありません。気づいた日にはわたしの退所日になっていたのでわたしは泣き真似してる義母と父親が迎えに来た車でそのまま児童相談所を後にしました。

 

この出来事は小学校低学年だったわたしにはとても衝撃的すぎて『いじめの現場』というより『人が殺されてしまう』という感覚に近かったのです。

そしてこの記憶がベッタリ脳に張り付いてしまったわたしは、5年後に似たような過ちを犯してしまうことになるのです。

 

 

戻ってきてしまった実家

 

家に帰ってきてから何ヶ月か程は義母から暴力を振われることはありませんでしたが、虐待する人っていうのは慢性的な心の病気なのでしばらくするとわたしが児童相談所にいた意味がまるでないくらい、入所する前と変わらない生活に戻りました。

父親に虐待のことがバレてしまったことをだいぶ根に持っていた義母の行動はどんどんエスカレートしていくので「マヨネーズがきれたからセブン行って盗んでこい」と指示されたり、車の中に連れ込まれ顔を裏拳で殴られたり、北海道の真冬に薄着と裸足で何時間も外に出されたり(この時は本当に死を覚悟しました)、トイレに1日中閉じ込められたりと様々なことをされました。

 

1番強く記憶に残っていることは、義母に「今日は寝ないでずっと正座してろ」と言われ真冬のストーブがついていない居間の真ん中で夜中に正座させられていたことです。

当然正座しながらオールなんてことは無理なので、義母が寝室にいってから数時間がたったことを確認しソファーにかかっていた父親の仕事着を羽織り冷たい床で寝ていました。

するといきなり腹部を蹴り飛ばされたような痛みが走り、目を開けたその時。視界に映っていたのは寝ていたはずの義母でした。

カーテンの隙間から入る街灯の光がうっすら義母の顔を照らし、その後ろにあった時計で時刻は夜中の3時をまわっていることを確認しました。

義母はわたしがちゃんと寝ないで正座しているかをわざわざ真夜中に起きて足音を消しながら監視しにきてたのです。

今思うと義母は虐待することを心から楽しんでいたのでしょう。わたしは義母からすれば家族でもなんでもなくただのおもちゃでしかなかったのです。

 

 

父親は虐待が続いていることはなんとなく察してはいたと思いますが特に助けてくれるわけでもなかったので、わたしはすでにこの頃から父親のことは全くの他人と思っていました。

義母と再婚してから父親との思い出が全くないのは、義母がわたしと父親を強制的に会わせないようにしていたのもあると思いますがこの頃からわたしの心が『家族』というものに対して冷めきってしまっていたのも原因の1つだったのかもしれないです。

 

そういえばどうして父親はわたしたちの生みの母親と別れたのか?とこの時にふと疑問に思いました。

この頃のわたしはまだ幼かったので離婚した理由は誰に聞いても教えて貰えませんでした。

「本当の家族ってなんなんだろう」「実のお母さんに会ってみたい」そう思う気持ちが日に日に強くなっていきました。

 

新年を迎え、まだ春が訪れる気配のない2月。外の街灯が青白く光り、あたりの雪を青く染めた道を横目にわたしは実母に再会するのです。