ブラック人生

〜虐待・養護施設・借金問題〜ありのままの26年記録

7,最後の別れ

 

 

朝目が覚めると三女と母親は出かける準備をしていました。

何やら今日は3人で買い物に出かけるとのことで三女と母親はどこに行くか楽しそうに話し合っていたのです。まだ頭が起きていないわたしをみて母親は優しく微笑みながら着る服を準備してくれていました。

まるで何事もなかったように振る舞う2人をよそに、TVで流れていた戦隊モノをボーッと眺めながらわたしは昨晩のことを思い返していました。

 

三女が着替えの為一旦実家に帰り、わたしと母親は軽く朝ごはんを済ませ三女を迎えに行き母親の運転する車で街へと向かいました。

わたしが住んでいる街は比較的田舎で、ショッピングモールはおろかスーパーですら車がないといけないような街なので初めて行く大型ショッピンングモールに胸が躍りました。

母親はわたしに気を遣ってくれ、おもちゃがたくさん売っているショッピングモールを選んでくれたのです。義母はおもちゃを買ってくれるどころかおもちゃで遊ぶことすらも許してくれない人だったので「好きなおもちゃを買ってもらえる」という状況に少し申し訳なさすら感じてしまいました。わたしは眺めているだけで充分だったのですがせっかくだからと言って母親はおもちゃをたくさん買ってくれました。

その当時大流行していたベイブレードやカードゲームなど1人じゃなく友達と遊べるようなものを選んでくれたのも、今考えれば母親なりの気遣いだったのかなと思います。

 

最後に夜ご飯のすき焼きの具材を買って母親の実家に向かいました。

祖母、祖父、次女、三女、母親とわたしで楽しく食卓を囲み三女と一緒にお風呂を済ませ就寝の時間を迎えたのです。

わたしは今日も母親の家で一緒に寝ると思っていたので、心の準備をしていたのですが母親が「今日はここで寝なさい。明日の朝また来るからね」と言い残し自分の家に帰っていきました。

この瞬間ホッとしてしまった自分がいたことと「母親のことを親だと思えていない」という事実に嫌気がさし、その晩は居間に祖母がひいてくれた布団で1人眠ることにしました。

 

 

 

 

母親との最後

 

その日は朝早くに目が覚めました。

目が覚めると祖母が朝ごはんを用意してわたしが起きるのを待ってくれていたので、わたしは起き上がってきた三女と一緒にご飯を食べました。しばらく経ってから約束通り母親が実家に来てくれたので、少しお話をしながらわたしは自分の荷物をまとめることにしました。

楽しかった時間もあっとういうまに過ぎ、今日は父親がわたしのことを迎えに来る日だったのです。

自分の家に帰るということはもちろん悪夢のような生活が待ち受けているわけですから、わたしは母親に「ずっとここの家にいたい」と気持ちを伝えましたが「あっちのお母さんとお話ししておいで」と言われてしまったので仕方なく自分の家に帰ることにしました。

この時わたしは「自分の家に戻ったら荷物全部まとめてこっちの家に戻ってこよう」と安易な考えをもっていたのです。

 

昼を少し過ぎた頃くらいに父親が迎えにきました。

何やら母親と父親が小声で話し合っていたのですがわたしは特に気にも止めず、家族全員に挨拶をし父親と一緒に家に帰ることになりました。

帰りの車の中でわたしは「悪魔のいる家に帰る憂鬱さ」というよりも「明日くらいにはこっちに戻ってこれる」という喜びで舞い上がっていたのです。

 

家に帰ると義母が居間のソファーに座っていました。わたしは早速父親に居間に呼ばれ、お姉ちゃんと義妹は2階で弟の面倒をみるよう言われていました。

普段逆らったり自分の意見をいう事のないわたしでしたが「もうこの家に帰ってくることはない」と決心していたので最後に自分の気持ちを正直に話そうと考え、義母と生活を共にするのが無理であること、虐待のこと、この家に帰ってきたくないこと、母親の元に帰りたいこと全て話しました。

義母は泣き出しましたがわたしは「どうせ児童相談所の時みたいに演技で泣いているんだろう」と泣いている義母を微塵も気に留めず父親に向けて話を続けました。

 

すると父親がおもむろに携帯を取り出し母親に電話をかけたのです。「そっちに帰りたがっているから引き取ってくれないか」と母親に頼み込んでくれたのです。そしてしばらく話終えるとわたしに携帯電話を差し出し「母親と話しなさい」と言ってきたのでわたしは電話を受け取り母親にもう一度そっちの家に帰りたいという気持ちを伝えました。

期待に満ちていたわたしとは裏腹に母親の応えは「新しい家族と頑張ってほしい」とのことでした。

尋常じゃない絶望感でわたしはここから先の記憶が全くありません。最後に母親となんの会話をしたのか、ちゃんとお礼を言えたのか、「バイバイ」と言えたのか。

 

「一緒に寝る時に泣かなかったらあの時引き取ってもらえたのだろうか」と何回も考えたことはありますが、きっとわたしが何をしても母親ともう一度一緒に暮らせる未来はなかったのだと思います。

でも、最後に感謝の気持ちだけはちゃんと言いたかった。今思い返せばほんの少し後悔が残ります。

 

そして絶望の淵から這い上がれることもなく、義母との地獄のような生活が再スタートしました。