義母との関係はこの件をきっかけに悪化の一途を辿っていくのです。
木製の30㎝定規で頭を殴られ入院沙汰になったり、2階の部屋から突き落とされそうになったり、時には包丁を突き出してきたりともはや虐待の域を超え義母は殺人未遂のようなことを繰り返していきました。
唯一血の繋がっているお姉ちゃんにもわたしが母親の元に帰ったことが父親を悲しませた行動だと非難されてしまい、家に誰も味方がいない状態になってしまいました。
この時からわたしは「もういつ死んでもおかしくない」という気持ちで毎日を過ごしていました。「自分の存在が悪でしかない」「どうして生まれてきてしまったんだろう」などどうしようもない感情に苛まれ続け、「自分で人生を絶った方がいいのかもしれない」とまで考えるようになってしまうくらい精神的にも身体的にも限界でした。
ですがわたしにはどうしても死にたくない、死ねない理由があったのです。
親友との死別
わたしは小学校に入学してすぐ、初めての友達ができました。
出会いは小学校1年生の春。新品のランドセルを必死に背負いながら1人で登校していたその子を見つけました。同級生の中で1番小柄だったその子の登校姿がとても印象的で、わたしは勇気を出してその子に話かけ毎朝登校中に見かけることもあり自然と仲良くなっていきました。
クラスが隣だったので学校内で絡むことは少なかったのですが、毎朝その子に会うことが楽しみでわたしは学校に行くことが好きになっていました。
新学期になり学年が1つ上がってもわたしたちは変わらずに毎朝一緒に登校していました。
約束の時間になってもこないことが何度かあったので1人で登校することもありましたが、次の日になるといつも通りの時間に元気な姿で歩いてくる彼女を見つけるとわたしは前日に彼女が学校を休んだ理由などたいして気にも止めずにいました。
そして小学校3年生の5月。約束の時間を過ぎても彼女はこなかったので「今日は遅刻したのかな?」と思いわたしは1人で学校に向かいました。学校について隣のクラスを覗いても彼女の姿はなかったので「明日はくるだろう」と思いその次の日の朝も彼女のことを待っていました。
ですが何日経っても彼女が現れることはなく、一週間ほど経ったある日の朝礼のこと。学級の先生がわたしたちに伝えたのは彼女の突然死でした。
わたしは先生がなにを言っているのかあまり理解ができず、朝礼が終わった後彼女の担任の先生に話を伺いにいきました。
「一週間前の朝、なかなか起きてこない彼女を起こしにお母さんが部屋まで行ったら、ベットの下で冷たくなっている彼女を発見した。」とだけ答えてくれました。ですがその話を聞いてもわたしは「明日になったらまた会えるんじゃないか」と思っていました。
夏が終わり冬を迎え、来ることのない彼女を毎朝待ち続けました。
彼女と会えなくなってから1年が経ち「死んでしまうともう会えない」という現実をようやく受け入れたわたしは初めて彼女がいなくなった悲しさで泣きました。
そして彼女の分も生きようと心に誓いました。
「この子の分まで生きいてほしい」と彼女のお母さんがいった言葉を守りたいと思っていました。
だから義母からどんなことをされようが絶対に死んではなりませんでした。
小学校4年生の冬休み。わたしは自分の荷物をまとめ家を出る準備をしていました。
大好きだったお姉ちゃんと大嫌いだった実家に別れを告げ、父親と義母の3人で車に乗り家を出発しました。
わたしは戻ることのないと思っていた児童相談所にもう1度入所することを決めたのです。